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原始時代から現代までの歴史と文化財を散歩 歴史・文化財

原始

立川のあけぼの

立川には遅くとも旧石器時代後期(1万3千年前)頃までには、人々が暮らし始めていたことが分かっています。その後、縄文時代中期(4~5千年前)になると、向郷遺跡(羽衣町)や大和田遺跡(柴崎町)に大規模な集落が営まれました。

古代

柴崎村の誕生

古墳時代には、柴崎町四丁目付近に古墳時代後期(6~7世紀)の円墳が築かれました。また、奈良・平安時代(8~11世紀)には、下大和田遺跡(柴崎町)、台の下遺跡(富士見町)などに集落が営まれました。特に、下大和田遺跡からは、高床式の建物跡も見つかっています。弘仁2年(811)には、柴崎町の諏訪神社(平成6年焼失、平成14年再建)が祀られ、このころ柴崎村(旧立川市)の原形ができたと考えられています。

中世

立川氏の活躍と戦乱の幕開け

平安時代末期頃、立川氏という武士が立川周辺に勢力を持っていました。暦仁元年(1238)には、鎌倉幕府の将軍に随って京へ上ったという記録が残っています。この立川氏は鎌倉時代~室町時代にかけての古文書を伝えています。文和2年(1353)、柴崎町の普済寺(平成7年焼失、平成16年再建)が建立されました。延文6年(1361)には普済寺に六面石幢が造られています。六面石幢は現在のところ立川市内唯一の国宝です。

近世

江戸幕府の成立と砂川の新田開発

天正18年(1590)、北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされると、北条氏の配下となっていた立川氏は勢力を減退させ、その後、関東には徳川家康が入国しました。慶長8年(1603)江戸幕府が開かれました。柴崎村は幕府の天領(直轄地)に組み入れられ、伊豆の韮山代官所の支配を受けました。
寛永四年(1627)ころになると、市の北部地域で本格的に開発が行われ、砂川新田が開かれました。

近代

明治維新と立川の近代化

明治時代を迎えると、立川は急速に近代化します。大正11年(1922)には立川飛行場(現国営昭和記念公園)が開設され、村は大きく発展しました。人口を大きく増やした立川村は大正12年(1923)町制を施行して立川町となりました。

現代

基地の街から多摩の中心へ

昭和29年、砂川村は町制を施行して砂川町となり、昭和38年に立川市と合併し、立川市はほぼ現在の姿となりました。戦後米軍に接収されていた立川基地は昭和52年に全面返還され、跡地は国営昭和記念公園、広域防災基地、ファーレ立川などに生まれ変わりました。交通の結節点である立川駅には、昭和57年に駅ビルが完成し、また、平成12年に多摩モノレールが全線開通してより利便性が高まり、多摩の商業の中心として発展しました。

 

 

もう少し詳しく知りたい方は

もう少し詳しく立川の歴史を知りたい方は、次のリンクから年代ごとの歴史をご覧ください。

立川市の歴史のページにリンク

 

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