立川市

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更新日:2021年6月14日

立川市の散歩コース【1.古村を歩く】

JR立川駅南口を出発し、旧柴崎村(立川村)の中心地域にある神社や史跡を巡るコースです。

散歩コース概要

1古村を歩くmap

【1.古村を歩く】(PNG:2,845KB)

  1. 立川駅南口
  2. 諏訪神社・八幡神社
  3. 中嶋家の門
  4. 【市指定天然記念物】八幡神社大欅
  5. 【市指定史跡】満願寺跡
  6. 柴崎分水
  7. 普済寺(立川氏館跡)
  8. 山中坂地蔵堂
  9. 立川市歴史民俗資料館
  10. 東京都農林総合研究センター
  11. 富士塚
  12. 西立川駅

諏訪神社・八幡神社

諏訪神社

諏訪神社は、江戸時代の古記録によれば弘仁2年(811)に、信州(現在の長野県)の諏訪大社より勧請(※)されたと伝えられています。(※勧請:神仏の霊や形像を別の地で招き、祭ること。)
沿革を記す社殿の棟札によれば、諏訪神社は天正14年(1586)に野火があり、八幡神社とともに全焼してしまいました。

その後、しばらくして再建されますが、その時期や、再建された場所は不明です。

江戸時代・寛文10年(1670)になると、本殿が現在の諏訪の森公園内にある「旧宮跡碑」の場所に再建されましたが、寛延3年(1750)には現在地の場所に遷りました。
平成6年(1994)に不審火があり、市指定有形文化財であった本殿と拝殿は焼失してしまいました。その後、平成12年(2000)に再建されました。立川の鎮守として、人々の信仰を集めています。

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中嶋家の門

中嶋家の門

江戸時代、鈴木家と1年交代で柴崎村の名主を務めた中嶋家の屋敷があった場所です。

門は江戸時代の末に、代官江川太郎左衛門からゆずり受けたと伝えられています。

文化6年(1809)幕府の役人で文人の大田南畝(なんぽ)がこの屋敷を訪れています。

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【市指定史跡】八幡神社大欅

大ケヤキ

諏訪神社の南の鳥居から西方約200mほどの所に、八幡神社大欅(おおけやき)といわれる幹周りがひときわ大きな木があります。
この大欅は、文政7年(1824)の野火により被災しました。木の上部には、その時の焼け跡が、近年まで残されていたといわれています。
大欅から普済寺に通じる道は、この地にたんす職人が多く住んでいたことから「たんす横町」といわれ、柴崎村の中心街として栄えたと伝えられています。

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満願寺跡

満願寺跡

江戸時代元禄期以前、この地に東光院という寺があり、大変栄えていました。
東光院は元禄期(1688~1704)になると、すっかりさびれてしまいましたが、当時名僧として名高かった黄檗宗(おうばくしゅう)の鉄牛和尚(てつぎゅうおしょう)の弟子別峰(べっぽう)が、医王山(いおうざん)満願寺として再興しました。
満願寺はたくさんの人々の信仰を集めていましたが、幕末には無住となり、明治8年(1875)廃仏毀釈により廃寺となりました。

寺の中にあった仏具などはほとんどなくなってしまい、現在跡地には井戸だけが残っています。

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柴崎分水

柴崎分水

柴崎分水は元文2年(1737)、玉川上水の松中橋付近から引かれました。

柴崎村では、それ以前の貞享5年(1688)、幕府に「柴崎分水訴願状」を提出していました。

この分水は台地の上の柴崎村では飲料水、台地の下では灌漑用水、また水車(延べ11台)にも利用されました。

以前は、途中で芋窪新田に分水をしていました。
国営昭和記念公園の西では、伏越(※)で残堀川の下を西から東へ潜り抜けます。

富士見町2丁目交差点で、本流と支流が7対3の割合で分かれ、富士見町、柴崎町、錦町へ流れています。

特に、支流はすでにあった家に配水することから、土地の微妙な高低差を利用して北から南へ、逆に南から北へと流れます。

その後、道路の拡張や下水道の設置により、本流は廃止され、支流が今でも開渠で流れています。

玉石積みの法面の景観を今に留める箇所は市指定史跡として保護されています。
※伏越:水路を横切るため、高低差を利用して、一旦低い所に水を下げた後、元の高さより低い所に上げて通水させる工法

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普済寺

普済寺

臨済宗建長寺派の玄武山普済寺は、歴史も古く、寺としての格式も高い、有名なお寺です。
立川で勢力をふるっていた武士団・立川氏が、南北朝時代の文和2年(1353)に一族の菩提寺として、普済寺を開きました。

その開山には、当時の高僧・物外可什(もつがいかじゅう)禅師を、鎌倉の建長寺から招いたということです。
普済寺は、「普済寺版」といわれる仏教経典を印刷・刊行し、当時この地方の仏教文化の中心地としての役割を果たしていました。

また、普済寺には国宝・六面石幢、首塚付近から出土した板碑群など、立川の歴史を知るうえで欠かすことのできない文化財を残しています。
しかしながら、平成7年(1995)不審火により、本堂など建物が全焼し、重要文化財の開山物外和尚坐像、市指定有形文化財の釈迦牟尼坐像が焼失。

また市指定有形文化財の普済寺保存板碑群も罹災する等、多くの文化財が損傷しました。

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山中坂地蔵堂

山中坂地蔵堂

太平洋戦争末期の昭和20年(1945)、日本の都市は、米軍の激しい空襲をうけました。

立川市でも、立川飛行場や、近在の軍需工場が攻撃の目標となり、何回も大規模な空襲をうけ、多くの尊い命が失なわれました。

これは戦災供養地蔵尊で、小さな祠の中にはお地蔵様が祀られています。
かつて山中坂には段丘の崖を利用した防空壕がありました。

当初、市役所の公文書を避難させるために掘られたものでしたが、戦争がひどくなると、空襲警報のサイレンが鳴るたびに、近所の人々がここへ避難するようになったのです。
昭和20年4月4日未明、米軍の空襲を知らせるサイレンが鳴りひびき、近くに住む老人や子どもたちが、ぞくぞくとこの防空壕の中へ逃げ込みました。

そこへ、米軍爆撃機B29の落とした250キロ爆弾が命中したのです。そして防空壕に避難していた42人(このうち子どもは32人)の人たちが亡くなりました。
山中坂のお地蔵様は、この時に亡くなった人々の霊をなぐさめるために建てられました。

現在でも花やくだもの、線香などが供えられ、悲惨な戦争をくり返してはならない、という人々の祈りが続けられています。

祠の隣には歌碑が建てられており、「あの悲しみをくり返さない」と唄っています。

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立川市歴史民俗資料館

歴史民俗資料館

歴史民俗資料館は、立川市の歴史や文化、自然や風土について、たくさんの市民に知ってもらい、市の文化を大切にし、高めてもらおうという目的で、昭和60年(1985)12月1日に開館しました。
この土地は、富士見町在住の故・井上重雄氏の屋敷の一部でした。

当時、立川市文化財保護審議会会長であった井上氏から「ぜひ立川市に歴史民俗資料館を建ててほしい」という希望があり、立川市に寄贈されました。
井上家が400年以上に渡って住んできたこの土地は、資料館建設の際に行った発掘調査で、平安時代の集落跡、台の下遺跡が発見され、貴重な歴史を持つ場所であることが確認されています。
資料館は「蔵」のイメージを基本に設計された鉄筋コンクリート2階建、周囲には旧井上家にあった土蔵や、敷地にあった井戸が保存されています。

段丘崖から湧き出る水を集めた池と、雑木や草花を配した散策路も設けられており、心なごむ雰囲気がかもしだされています。
資料館内は、立川の歴史・民俗・自然に関する資料が展示されている常設展示、テーマに沿って行われる企画展のほか、郷土文化を伝える体験学習なども開催されています。

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東京都農林総合研究センター

東京都農林総合研究センター

明治33年(1900)に東京府農事試験場として豊多摩郡中野町(現在の中野区)に設立。

大正9年(1920)から13年にかけて、中野町から立川に移転してきました。

これまで、さまざまな研究を通して、地域農業の発展に貢献してきました。
平成17年(2005)に畜産試験場・林業試験場と統合して、現在の名称になりました。
この施設は、都市農業の積極的な保全・育成と、林業の振興をはかるため、技術と経営の両面からの試験・研究や調査を行っています。

また、都民の生活環境の保全のために、農林技術を活用して、大気・土壌の汚染調査や、自然保護・緑化などの試験・研究も行っています。
そして、研究の成果は、行政や普及指導部門を通して、生産者や都民の役に立てています。

場内には、研究のための四季折々の草花が咲きほこり、人々から親しまれています。

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富士塚

富士塚

JR青梅線西立川駅の東南、西立川学童保育所のそばにある大きな塚が富士塚です。

塚の頂上には浅間神社が祀られています。
富士塚は富士浅間神社の神を祀り、江戸時代中期に「江戸八百八講」といわれて隆盛をきわめた富士講(富士山に対する信仰)の人々により築かれました。

富士山に登り、参拝することのできない人々が、富士山の代わりとしたのです。
江戸時代の検地帳の中には「ふじ塚」という名が見えます。

富士塚の由来については、この塚の頂上から富士がよく見えることから富士塚と呼ばれるようになったのではないかという説もあります。

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関連ファイル

お問い合わせ

教育委員会事務局 教育部生涯学習推進センター文化財係

電話番号:042-525-0860

ファックス:042-525-1236

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