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更新日:2023年8月17日

たちかわの歴史と市のあゆみ

たちかわの歴史

旧石器時代~縄文時代(約3万年以上前~約2,300年前)

大むかしの人びとが生活していたようすは、遺跡から発見される遺物(石器や土器など)によってわかります。これまでの遺跡調査から、立川市で人びとが生活を始めたのは、約1万5千年前と考えられています。また、縄文時代中期(約 5千年前)になると、向郷遺跡(錦町・羽衣町)や大和田遺跡(柴崎町)で、大きな集落が営まれるようになりました。

縄文時時代の竪穴住居跡

竪穴住居跡(縄文時代・向郷遺跡)

遺跡から発掘された縄文土器

縄文土器

弥生時代~古墳時代(約2,300年~約1,300年前)

弥生時代(約2,300年前)になると、本格的に稲作がはじまりますが、現在のところ、市内からは弥生時代の遺跡が発見されていないため、詳しいことはわかっていません。古墳時代後期(約1,400年前)になると、円墳とよばれる古墳(お墓)がつくられるようになりました。柴崎町4丁目にある沢稲荷もそのひとつです。

弥生時代の古墳 沢稲荷

沢稲荷(柴崎町4丁目)

奈良時代~平安時代(約1,300年~約830年前)

この時代の遺跡は下大和田遺跡(柴崎町)、台の下遺跡(富士見町)が知られています。下大和田遺跡からは、市内では珍しい掘立柱建物跡(地面に穴を掘って木の柱を建ててつくった建物)が発見されました。弘仁2年(西暦811年)には諏訪神社(柴崎町1丁目)がつくられ、村の形が整ってきました。

掘立柱建物跡(下大和田遺跡)

811年創建の諏訪神社

諏訪神社

鎌倉時代(約830年~約680年前)

武士が力を持ち始めた時代で、市内でも立川氏という武士が領地を持っていたことがわかっています。建長4年(西暦1252年)には立川氏の氏神として八幡神社(柴崎町1丁目)が建てられました。

立川文書(立川氏がのこした古文書)

南北町・室町時代(約680年~約440年前)

普済寺(柴崎町4丁目)の境内は立川氏の館跡と伝えられています。近年行われた発掘調査の結果、この地には西暦1400年代前半から1500年代前半にかけて、居館があったことがわかりました。また、この時代は全国で戦乱が多く発生しました。市内でも、永正元年(西暦1504年)に立川原合戦とよばれる戦いが起こっています。

普済寺境内の立川氏館跡

立川氏館跡(柴崎町4丁目)

立川原合戦を示す銅鉦鼓

銅鉦鼓(立川原合戦を示す資料)

安土桃山時代(約440年~約410年前)

戦国大名の北条氏は、最後まで豊臣秀吉に抵抗していたため、天正18年(西暦1590年)、秀吉によって攻め滅ぼされてしまいます。この時、立川氏は北条氏の配下となっていたため、領地を失って浪人となりました。

八幡神社本地仏像

八幡神社本地仏像(天正14年(西暦1586年)、立川照重の内女のおねねが八幡神社に奉納したもの)

江戸時代(約410年~約145年前)

関東地方に徳川家康が入国し、慶長8年(西暦1603年)に江戸幕府が開かれました。立川市の大部分は幕府の天領(直かつ地)に組み込まれ、人びとは農業をおもな産業として暮らしていました。西暦1630年ころになると、新田開発によって市北部地域に集落(砂川新田)が開かれました。承応3年(西暦1654年)には玉川上水が引かれました。その後、砂川新田は五日市街道に沿って東西に広がっていきました。

五日市街道の様子(昭和30年頃)

玉川上水(小平監視所付近)

明治時代~昭和20年(約145年~約70年前)

立川駅の開設や府立第二中学校(現・都立立川高校)の開校、立川飛行場の開設など、この時代に現在の立川市の基礎ができました。主要な産業はまだ農業でしたが、立川駅の北側には商店が立ち並び、人口も大きく増え、まちは発展していきました。その一方で、軍事施設の数も多く、太平洋戦争では空襲を受け、多くの被害を出しました。

空襲を受ける立川飛行場

立川駅北口(大正時代)

昭和20年~

戦後、立川飛行場はアメリカ軍の基地となり、昭和52年に返還されるまでは、「基地のまち」と呼ばれました。一方、立川駅は交通のかなめとしてたくさんの人で賑わうようになりました。平成の時代になると、多摩モノレールの開通とともに立川駅南口の開発もすすみ、商業都市としてますます発展しています。

米軍立川基地

多摩モノレール

立川市のあゆみ

明治11年(1878年)

初めて独立校舎(第一小学校)が柴崎町に建てられました。

明治14年(1881年)

柴崎村は立川村へ名前を変えました。

明治22年(1889年)

甲武鉄道(JR中央線)が開通しました。

明治26年(1893年)

三多摩が神奈川県から東京府へ編入されました。

明治27年(1894年)

青梅鉄道(JR青梅線)が開通しました。

明治34年(1901年)

府立第二中学校(都立立川高校)が開校しました。

大正4年(1915年)

立川村の一般家庭に電気の供給が開始されました。

大正6年(1917年)

砂川村の一般家庭に電気の供給が開始されました。

大正10年(1921年)

立川村に電話が開通しました。

大正11年(1922年)

立川飛行場が開設されました。

大正12年(1923年)

立川村は町制を施行して立川町となりました。

大正14年(1925年)

立川最初の映画館「立川キネマ」が開館しました。

大正15年(1926年)

日野橋が開通し、日野の渡し船が廃止されました。

昭和4年(1929年)

南武鉄道(JR南武線)が開通しました。

昭和5年(1930年)

五日市鉄道(JR五日市線)が開通しました。

立川駅に南口が開設されました。

昭和15年(1940年)

立川町は市制を施行して立川市となりました。

昭和20年(1945年)

山中坂の防空壕が空襲を受け42人が亡くなりました。

昭和22年(1947年)

立川専門学校(都立短大)が開校しました。

昭和23年(1948年)

立川市の一般家庭にガスの供給が開始されました。

立川市立高校(都立北多摩高校)が開校しました。

昭和26年(1951年)

立川市で水道事業が開始されました。

昭和29年(1954年)

砂川村は町制を施行して砂川町となりました。

昭和30年(1955年)

砂川闘争が始まりました。

昭和33年(1958年)

砂川町で水道事業が開始されました。

昭和38年(1963年)

立川市と砂川町が合併しました。

昭和43年(1968年)

西武拝島線(拝島~玉川上水)が開通しました。

昭和52年(1977年)

立川基地がアメリカ軍から返還されました。

昭和57年(1982年)

立川駅ビル・南北自由通路が完成しました。

昭和58年(1983年)

国営昭和記念公園が開園しました。

平成元年(1989年)

立日橋が一部開通しました。

平成10年(1998年)

多摩モノレール(上北台~立川北)が開通しました。

平成12年(2000年)

多摩モノレールが全線開通しました。

平成17年(2005年)

立川駅南口・北口駅前歩行者専用デッキが開通しました。

平成19年(2007年)

立川駅に新しい改札口ができました。

平成21年(2009年) 東京地方裁判所、家庭裁判所、東京地方検察庁の八王子支部、八王子拘置所などが、立川基地跡地地区(緑町)に移転しました。
平成22年(2010年)

新庁舎で業務が開始されました。

平成24年(2012年)

第1回立川シティハーフマラソンが開催されました。

立川市オリジナルキャラクターが「くるりん」に決定しました。

平成25年(2013年)

子ども未来センター・立川まんがぱーくがオープンしました。

平成30年(2018年)

若葉台小学校が開校しました。

令和2年(2020年)

市制施行80周年を迎えました。

令和3年(2021年)

若葉台小学校の新校舎が完成しました。

お問い合わせ

子ども家庭部子育て推進課 

電話番号:042-528-4342

ファックス:042-528-4356

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