山崎充央さん~熱い走りでレースも立川も盛り上げたい。気概あふれる姿勢を示す~(たちかわ競輪ホーム選手)

ページ番号1026146  更新日 2026年2月20日

写真:山崎充央さん1

1985年のKEIRINグランプリ発祥の地という理由から、聖地と呼ばれている立川競輪場。「気骨あふれる昭和の男」と称され、立川競輪場をホームバンクとして活躍する山崎充央選手の、立川愛にあふれた活動と競輪人生に迫ってみました。

競輪選手を目指した理由は「かっこいいから」

「小さい頃、親に連れられて競輪を観に行ったのが、競輪との最初の出会いでした。レースのわくわく感やスピードを上げて自転車で走り抜ける選手の姿を見て、もうただただ『かっこいいー!』と思いました。小学校の卒業文集には、将来、競輪選手になる!と書いていたくらいですから、子ども心にその姿が刻まれたんでしょうね」

高校では野球部で練習に明け暮れた日々を送っていたそうです。3年生での引退時期をきっかけに、競輪の養成所に通うことを決めます。当時の入所試験は一次はタイムトライアル、二次は実技に加え学科試験(国語、数学、社会)もあります。それまで、部活動に重点を置いていたため、学科についてはかなり苦労されたようです。

「中学、高校と野球に明け暮れて正直、勉強は二の次でした。今思うと、試験なんてどうにかなる、と軽く見ていたと思います。何度も落ちてまたトライ。こんなに勉強したのは人生初めて、というくらい必死に勉強しました」

写真:山崎充央さん2

「今やるべきことをやる」 経験から得た教訓

その出来事から、山崎選手は大きな教訓を得たと言います。

「誰にでも、その時にやるべきこと、というのがあるのだと思います。目を逸らしたこと、向き合わなかったことは、本気で事を成し得たいとなった時に、必ずブーメランになって返ってくるんです。面倒くさく瞬間的に嫌だなと思ったとしても逃げずに、今、常にやるべきことを全力でやる。そのことを大切にしています」 

競輪の世界では、選手のトレーニングや生活面における指導を行う「師弟関係」という独特の文化が存在し、山崎選手にも多数の弟子がいらっしゃいます。ガールズ競輪の星野しほ選手もその一人で、「山崎さんは人にも、自分自身にもすごく厳しいんです。私自身は自分に甘いところがあるので、『ああもう練習めんどうくさい』ってなったりしてたんですが、山崎さんを見てると自分は何やってんだろうってすごく思うことが多くて、私も頑張らなくては、と奮い立たされるんです。とても頼りがいのある方で、なんでも相談しています」と言います。

写真:競輪選手3名
写真左が星野しほ選手

未来につながる地域での活動

山崎選手は自分のことを「余白のない性格」と言います。特別な用事がないかぎり、次々と何かしらの予定を入れて動き続けているそうです。

「今は競輪人気も出て、盛り上がっているけど、過去、衰退している時期があって。大それたことはできないけど、まずは、たちかわ競輪が盛り上がることをしようと思って最初に行ったのが、当時は夏に行われていた「立川よいと祭り」でした。思った以上に暑かったので大変だったけれど、今も参加し続けていて、地域とのつながりを作れたきっかけのひとつ。競輪選手は試合ごとで地方への移動が多く、地元・地域とのつながりを持つことが難しいところがあるので、イベントなどを通した地域との交流は良い機会と捉えています。たちかわ競輪が盛り上がって、その熱がまた違うところに広がって、いずれもっと大きな盛り上がりにつながればいいな、とか考えたりしています。そういうこともあって、とにかく行動しています。」

立川商工会議所が主催する「立川プロスポーツ連絡会※の会合にも必ず顔を出すといいます。立川競輪場の近隣の保育園との交流も深く、有志でレース出場のたびに500円を集めて、まとまったら子どもたちにプレゼントを渡す活動もしています。最近ではストライダーをプレゼントしたそうで、園児たちが喜んで乗って転んでは起き上がってあそんでいたそうです。「最初は競輪にそこまで関心がなかった子どもたちも、最近は応援してくれるようになりました。子どもたちにとって競輪場が身近な存在になり、中には将来なりたい職業に「競輪選手」と言ってくれる子が出てくれるとうれしい」と語ります。

※立川市を拠点に活動するプロスポーツ団体の会合

写真:山崎充央さん3

人間の本性が出る、命がけのレース

立川バンクは、ほかのバンクに比べて58メートルの長い直線、きつめのカーブなどの特徴があります。特にすごいのはバンクに吹く「風」だそうです。「競輪って風を利用した競技なんですよ。先頭を走る選手が一番風を受けながら試合をリードして、後続の選手はその陰で風の抵抗を受けにくくするんですが、立川の風は容赦なく全員が受けるんです。だから試合展開が読めない。安定しないので苦手だという選手もいますが、そこが面白いところで僕は好きなんです」

競輪の最高速度は70キロメートル前後とすさまじい速さで、一瞬たりとも油断できません。「競輪ってごまかせないんですよね。性格が出ちゃうというか、ずるさや弱さも含めて、レースの中では隠せない。多くの選手は、自分自身と向き合い、そして恐怖と闘っていると思います。最終的には生存本能だけで、あとは何にも考えずにレースに向かっているんです」

熾烈な争いを続けるなか、山崎選手は「辞めたいと思ったことは一度もない」と言います。

「逃げ出したいと思ったことは何度もありますよ。でも、辞めたいと思ったことはないし、目標は40年間の選手生活を送ること。常に勝ちを目指して、今の自分に見合うトレーニングを続けています。選手のレベルは年々上がってきているから、レースの面白さも増しています。多くの人に、こんな近くに競輪場があるんだということを知ってもらいたいし、競輪を楽しんでもらいたい」

そう熱く語る山﨑選手。スポーツ競技の中でも現役でいられる期間が比較的長いといわれる競輪ですが、50歳を超えてもなお第一線で活躍する山﨑選手を、これからも応援していきましょう。

山﨑充央(やまざき みちてる)
1974年9月25日生まれの51歳。176.0cm/84.0kg/天秤座/A型。立川地区の地区長。
中学、高校時代は野球部に所属し、1997年4月16日デビュー(79期)
2025年4月27日に通算300勝を達成した、たちかわ競輪ホーム選手の頼れるリーダー。若手選手育成機関「大宮道場」の一員として、ロードサポート事業や地域の保育園への寄贈等、地域貢献に尽力し、現在S級所属の山本勝利選手や武田亮選手をはじめ多くの若手選手の師匠を務める。好きな食べ物は肉とお酒で嫌いな食べ物はなし。