立川寸志さん~やっぱり落語が好きだから~(落語家)

ページ番号1026320  更新日 2026年2月20日

写真:立川寸志さん1

立川市出身の落語家、立川寸志(たてかわ すんし)さん。2026年秋には真打昇進が内定しています。44歳という落語界では異例の年齢で入門し、「人生の半分、88歳までは噺家でありたいですね」と冗談めかしながらも熱く語る寸志さんにお話を伺いました。

遅れて来た落語少年

小学校の通信簿にはいつも「おしゃべりが多い」と書かれ、クラスではひょうきん者だったという寸志少年。中学に入るとテレビに出ている落語家を見て、落語に夢中になりました。「落語を観るために、立川から電車で月2回くらいの頻度で新宿の末広亭や池袋演芸場に出掛けていました。中学生で当然一緒に見に行く友達もいないので、一人で冒険気分で通ってましたね」。その頃好きだったのは三遊亭圓丈さん※で、現代を舞台にした新作落語から入り、古典落語の面白さにもはまっていきました。

大学では落語研究会で会長も務めましたが、卒業時はバブル期で売り手市場だったこともあり、出版社への就職を選択。同じ業界で何度か転職をしますが、40代になると会社員としての行き先が見えて、自分の将来に興味が持てなくなったという寸志さん。「節目節目では落語家になろうと思ったこともあったんですが、なかなか踏ん切りがつかなくて。40代になった時、師匠立川談四楼の落語を観て『やっぱり落語家になりたい』って改めて思ってしまったんですね」。思いは日に日につのって、44歳にして落語界に飛び込んだのです。

※1944‐2021。落語協会に所属していた落語家。新作落語において多くの作品を遺し、後進の新作落語家に大きな影響を与えたことで知られる。

写真:立川寸志さん2

落語のツボ

「落語は、人間の業(ごう)の肯定である」というのは、談四楼さんの師匠に当たる立川談志さんが遺した有名な言葉です。「どんなに立派なことを言っていても、お腹が空いたら他人の食べているものをちょっともらっちゃうとか。人間ってそういうところがあるよね、と。あなたもそうだし、私もそう。そういう人間の弱さや不完全なところを笑い合ったり、共感したりするところに、落語の面白さがあると思います」と寸志さんは話します。

さらに、あまり落語に馴染みがない方への落語の楽しみ方についてもこう語ります。「演劇はメイクをして、衣装をつけて、背景の前でやりますよね。落語は素顔で衣装は着物。背景はありません。用いるのは扇子と手ぬぐいだけ。扇子は刀、キセル、船頭の櫓(ろ)だとかに例えて使います。手ぬぐいもしかり。小道具が無くても、饅頭や蕎麦を食べます。お客さんの頭の中でイメージが湧いてきますよね。想像を働かせて観てもらうことが落語の楽しみ方のひとつだと思います」。

写真:立川寸志さん3

晴れの日も雨の日も

仕事をする上でのやりがいを伺うと、「やっぱり日々高座に上がって、お客さんに笑ってもらったり、拍手してもらったりというのが本当に嬉しいです」と寸志さん。逆に苦労を感じた点は、入門後数年間の前座修業時代にあったと振り返ります。「師匠の身の回りの用事、寄席や落語会の進行の手伝い、楽屋の雑用を全部やって、その間に太鼓や踊りの練習もする。もちろん落語の稽古もやらなきゃならない。それまでの人生から落語家に変身する、サナギのような時期ですね。理不尽に感じることや落語界独特のルールもありました。20年間で身に着けた社会人経験なんて役に立たなかった。忍耐が必要な時期ではありましたけど、なぜか辞めようと思ったことはなかったんです。ポジティブに言えば、好きなところに自分で選んで来たわけだから。好きなものの近いところにいようと思ったら、ちょっと辛くたって辞めない方がよいですよね」。

写真:立川寸志さん4

変化に持ちこたえ、進化してきた街

ふるさとである立川のことを伺うと、「今市役所がある辺りは、私が子どもの頃はベースと呼ばれた米軍の基地でした。高い網の塀にしがみついて中を見ると、群青色のバスが走っていて。どこか街に戦争の影が残っていました。今や本当に綺麗で便利な都市になりましたよね。立川は昔から飛行場が造られたり、その後に米軍がやってきたりと色々と大変な変化があったのですが、それを受け止め、吸収して自分のものにする力がある街だと感じますね。これだけ大きく住みやすくなってすごいな、と」。

生まれ育った場所を離れても、年に一度、地元の栄町の落語会で口演している寸志さん。「立川生まれというだけで歓迎してくれて、そのありがたみは落語家になってから特にひしひしと感じます。故郷をもっともっと大事にしたいなあと思いますね」。これからも粋な笑いで、立川の人達に元気と落語の楽しさを届け続けてもらいたいです。

写真:立川寸志さん5

立川寸志(たてかわ すんし)
1967年東京都立川市生まれ。中学生時代に落語にハマり、寄席・落語会通いをはじめる。大学落研では会長をつとめるが、卒業後は出版業界へ進み、数社の出版社勤務の間に、現在の師匠立川談四楼と出会う。落語への思いが再燃し、2011年8月44歳という記録的高齢で談四楼に入門。3年7ヶ月の前座修業を終え、2015年3月二ツ目昇進。2017年渋谷らくご賞《たのしみな二つ目賞》受賞。2024年第24回さがみはら若手落語家選手権優勝。キャッチフレーズは「遅れて来た落語少年」「落語界の中途採用」。