宿谷豊さん~暮らすひとから守るひとへ~(立川市消防団長)

ページ番号1028181  更新日 2026年9月7日

ポンプ車の前に立つ宿谷団長

令和2年4月から立川市消防団の団長を務めている宿谷豊さん。本業の傍ら、消防団を取りまとめ、有事には市の災害対策本部とともに消防団員を指揮します。令和8年度はさらに東京都三多摩消防団連絡協議会の会長に就任し、市内外ともに大役を担う宿谷団長にお話を伺いました。


“身近な消防団”から指揮する立場へ

―消防団に入団したきっかけを教えてください。

19歳の時、当時消防団に入団していた父親が退団するタイミングで団員の方から勧誘をされたので、それを機に入団することになりました。私が子どもの頃に近所のお祭りで消防団員の方が手伝いをされていたり、お祭りの会場内にポンプ車を展示していたので、身近には感じていましたね。

 

―普段のお仕事や趣味を教えてください。

本業は市内で植木の生産農家をしています。垣根用や建売住宅用の木を苗木から育てて成木になるまで育てるんですよ。立川市の植木産業は良い仲買業者さんがいるおかげもあり、都内生産量1位を誇っています。

趣味は本業の仕事や消防団の活動の合間を縫って、ゴルフやドライブで気分転換することです。消防団の仲間と行くことが多いですね。

植木仲間と作った庭人と書いてにわんちゅと読むTシャツを着て植木の手入れをする宿谷団長
植木仲間と作った「庭人(にわんちゅ)」のTシャツを着て植木の手入れをする宿谷団長

―これまでの消防団の活動の中で特に印象に残っている出来事があれば教えてください。

一番印象に残っているのは、平成10(1998)年1月から3月にかけて発生した連続放火事件ですね。当時、私は第6分団の分団長をしていたのですが、担当地域でも同じ犯人だと思われる犯行があって、出動が終わったと思ったら立て続けに出動要請が出たときがありました。当時のポンプ車のホースは今と違い、使うたびに乾かす必要もあったため、とても手間がかかって大変だった記憶があります。なかなか犯人が捕まらず、団員にとって過酷な日々が続きましたが結果的には犯人が捕まり、解決に至ったので、そのときは心からほっとしましたね。


何よりも大切にしているのは“仲間”

―団長として組織をまとめる上で大切にしていることがあれば教えてください。

一番配慮しているのは、「団員を直接叱らないこと」です。私が直接伝えてしまうと、団員が委縮してせっかくの雰囲気が壊れてしまったり、本人のやる気にも影響が出てしまいかねないので、何か指導したいことがあったときには副団長を通して伝えるようにしています。その影響で、副団長に対しては少し厳しめになってしまうこともありますね(笑)

左から吉岡寬彦副団長 中嶋和義副団長 宿谷豊団長 杉本直敏副団長 金子倫康副団長
中央:宿谷豊団長 団長とともに消防団を支える副団長(左から吉岡寬彦副団長 中嶋和義副団長 杉本直敏副団長 金子倫康副団長)

―団長になってから大変だった時期はありますか。

ちょうど新型コロナの時期に団長に就任したのですが、当時は試練の連続でした。ポンプ車で出動する際、いわゆる「密」の状態になってしまうので、そこで新型コロナの感染リスクがありました。マスクを着用して窓を全開にするなど、できる限りの対策はしましたが、団長として出動判断をする際にはそのたびに重責を感じていました。

―活動を続けてこられた中で支えとなったものや、今後大切にしていきたいことを教えてください。

一緒に消防団で頑張ってきた仲間の存在が一番大きいですね。大変な時も、同じ消防団の仲間同士で団結して助け合ってきたからこそ、ここまで活動を続けてこられたと思っています。私自身、団長としてまだ未熟な部分もあると思っていますので、副団長や団員のみなさんに支えてもらいながら、諸先輩方から教わったことはできる限り伝えていき、よりよい消防団にしていきたいと思っています。


ポンプ操法の実技が始まる前に団員が整列する様子
7月5日に行われたポンプ操法審査会の様子
消防団員がホースで的に向かって放水する様子
立川市消防団全10分団が集結し、技術を競いました。


「実際の火災現場で消火活動ができないと意味がない」と語る宿谷団長。

ポンプ操法訓練の団員たちの気合の入った演習から、団長の消防団への思いが垣間見えました。