知ることから始まる、多文化共生 ~たちかわ多文化共生センター理事・赤嶺令子さん~

立川で、多文化共生のまちづくりに取り組む「NPO法人たちかわ多文化共生センター(TMC)」。今回は、長年にわたり国際交流や外国にルーツを持つ人たちの支援に携わってきた、理事の赤嶺令子さんにお話を伺いました。
「ペン一本あれば、世界のどの国の人とも友達になれるのよ。」
そう言いながらお母さんから渡されたのは、ある新聞の記事。海外の人との文通について紹介されたものでした。小学4年生だった赤嶺さんは、挿絵として笠をかぶって田植えをするベトナムの風景が描かれていたことを、いまでもしっかり覚えています。
「外国の人と友達になれることに、子ども心に興味をひかれました。」
当時の郵政省が行っていた「郵便友の会」を利用し、最初に手紙を出したのはアメリカ。日本語で書いた手紙を翻訳して海外へ届け、返事も翻訳されて戻ってくる仕組みでした。
やがて赤嶺さんは、電話帳の巻末に載っていた各国大使館の住所を頼りに、自分で手紙を書くようになります。
「あなたの国の、私と同じくらいの年代の人と友達になりたい。」
アフリカ、ヨーロッパ、オーストラリア、中国など、さまざまな国から返事が届きました。
携帯電話もインターネットもない時代。訪れたことのない国や、そこに暮らす人と手紙を通じて知り合う楽しさが、赤嶺さんの国際交流の原点となり、現在の活動へとつながっていきます。
ワクワク感がはじめの一歩へ
赤嶺さんは現在、NPO法人たちかわ多文化共生センター(TMC)の理事を務めています。
TMCは2001年4月、立川市内の国際関係団体が集まり、情報を共有しながら多文化共生の道を探ろうと発足。赤嶺さんはセンター発足前の準備委員会のメンバー募集に応募し、一市民として活動に参加しました。
「私の初めの一歩は、国際交流だったんです。知らないことを知っていくことの醍醐味というか。」
「多文化共生」と聞くと、少し難しい言葉に感じるかもしれません。しかし、赤嶺さんが話す多文化共生は、とても身近です。
「外国人と日本人ということではなくて、鹿児島県人と東京人、あるいは秋田県人でもいい。他の土地に住んでいる方と知り合うことって、とても素敵なことだと思うんです。」
場所が変われば、気候や食べ物、言葉、暮らし方も変わります。その違いを知ることを赤嶺さんは「ワクワク感」と表現します。
「異文化を知って、世界が広がる。そのワクワク感を一人でも多くの若い人たちに知っていただけたら、うれしいですね。」
21言語で人を支える
そんな「人と人をつなぐ」活動の一つが、TMCの語学ボランティアです。
現在、登録者は129人(令和8年4月1日時点)、対応する言語は21言語。英語、中国語、スペイン語のほか、マダガスカル語やヒンディー語などに対応できる人もいます。
珍しい言語を担当するのは、その国にルーツを持つ人なのでしょうか。
「そうですね。マダガスカル語は、マダガスカル出身の大学生、インドの言葉もネイティブの方が登録してくださっています。とても流暢な日本語で驚くのですけれども。」
外国にルーツを持つ人自身が、その言葉を必要とする誰かを支える側にもなっています。
また、語学ボランティアは本業が忙しい方も多数在籍。
「ご自分のメインのお仕事があって、その合間を縫って協力してくださっているんです。」
かつては行政側から大使の表敬訪問や競輪の外国人選手のアテンド、国営昭和記念公園の施設説明などを依頼されることもあり、TMCはこれまで多様な場面で言葉の橋渡しを行ってきました。
始まりは、「言葉のことで手伝ってくれる人が市内にいるのでは?」と考えたこと。当初30数人、約10言語から始まった輪が、現在の21言語、登録者数延べ129人へと広がってきたのです。
一本の電話から始まった子どもの支援
TMCでは、外国にルーツを持つ子どもたちの日本語学習も支援しています。
はじまりは、事務局にかかってきた一本の電話でした。
「外国ルーツの子どもがいる。なかなか日本語を覚えられず、学校でも対応に苦慮している。そういう電話がスタートでした。」
同じような困り事が、ほかの学校にもあるのではないか。市内の小中学校に声をかけると、「支援が必要です。」と答えた学校がいくつかありました。
「これはすぐ対応しなくては…何かできることがないかな、と考えました。」
国分寺や八王子などの取り組みを調べ、志のある人に協力を呼びかけました。
最初に支援したのは、ネパールルーツとアメリカルーツの小学生。当初は無償で、週に一度、放課後の空き教室を使ったマンツーマンの支援からスタートしたのです。
その小さな取り組みが少しずつ広がり、現在の子ども日本語教室「つばさ」につながっています。
子どもの学びを、地域でつないでいく
言葉の壁は、日常生活だけではなく、子どもたちの学習や進路にも影響します。
「つばさ」では、より専門的な学習支援が必要な中学生を、福生市で外国ルーツの子どもを支援するYSCグローバル・スクールにつなぐこともあるそうです。
「言葉の問題で勉強についていけないというお子さんがいたら、そこにつなぎます。」
また赤嶺さんは、都立砂川高校に外国ルーツの生徒を受け入れる体制ができたことにも触れました。
ひとつの団体だけでできることには限りがあっても、教育委員会や学校、専門的な支援機関などと協力し合いながら子どもの学びを支えていけば、より良いサポートができるようになっていく・・・。取材からは、そんな地域とのつながりも見えてきました。
次に取り組むのは「防災」
現在、TMCが力を入れようとしている分野の一つが防災です。
「どういうことで有事になるかわかりません。そのとき外国ルーツの人たちは、情報弱者になる可能性がとても高い。」
災害が起きれば、日本人でも、どこへ避難すればよいのか、外出先でどう行動すればよいのか迷うことがあります。そこに言葉の壁が加われば、命を守るために必要な情報を受け取れない可能性は高くなるでしょう。
「言葉の支援が必要な方にどう情報を伝えていけるか。このことを今、一生懸命考えているところです。」
「こんにちは」から広がる世界
赤嶺さんの自宅近くには、ネパール出身の家族が暮らしています。
交流の始まりは、道で出会ったときに赤嶺さんが「こんにちは」と声をかけたことでした。
話をするようになると、それまで遠かったネパールという国が身近になりました。ネパールで大きな災害が起きたという報道を目にしたときも、以前なら海外ニュースの一つとして通り過ぎていたことが、知り合いの人たちは大丈夫だろうか、と気に掛けるようになりました。
「ちょっとしたきっかけで、世界が広がっていく。それが多文化共生なのかもしれないですね。」
小学生のころ、一本のペンを手に、まだ見ぬ海外の友達へ手紙を書いた赤嶺さん。
そのころから変わらないのは、知らない人や物と出会うことを楽しむ気持ちです。
「お互いに知ることが大事かなって思います。」
多文化共生への「初めの一歩」は、案外、身近なところから始まるのかもしれません。
(市民ライター:竹田葉子)