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更新日:2020年7月1日

立川市の散歩コース【4.砂川新田発祥の地を歩く】

全長で約7.2キロメートル。

玉川上水駅を出発し、砂川の神社や水路を巡るコースです。

散歩コース概要

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  1. 西武線玉川上水駅
  2. 宮の橋
  3. 阿豆佐味天神社蚕影神社
  4. 流泉寺
  5. 見影橋
  6. 巴河岸跡
  7. 金比羅山
  8. 残堀川旧水路跡

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  1. 残堀川旧水路跡
  2. 天王橋・八雲神社
  3. 砂川分水・柴崎分水取入口
  4. 西武線西武立川駅

阿豆佐味天神社

阿豆佐味天神社

寛永6年(1629)、砂川の開発が始まった頃、殿ヶ谷村(瑞穂町)の阿豆佐味天神社を勧請しました。

砂川の氏神様として昔から土地の人々の厚い崇敬をうけており、今でも元日にはダルマ市が立ち、初詣の人々で賑わいます。

本殿、拝殿とも江戸時代の建築で、とくに拝殿の彫刻はすばらしいものです。
(注)勧請:神仏の霊や形像を別の地で招き、まつること。

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蚕影神社

蚕影神社

蚕影様ともいい養蚕の神様です。

幕末に常陸国豊浦湊(茨城県つくば市)から分社されたのです。

養蚕が盛んであったころは参詣人も多く社殿もありましたが、今は拝殿横の社殿に、多くの神々と一緒にまつられています。

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流泉寺

流泉寺

砂川新田開発の人々の菩提寺として、慶安3年(1650)に開創されました。

山号は天竜山といい、臨済宗建長寺派です。

明治時代にはここが教育の中心となり、約30年の間、境内には学校が設けられていました。

墓地入口には市内でも珍しい大日如来などの石仏があります。

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巴河岸跡

江戸時代の終わりごろから、玉川上水に沿った村々の有力者たちは、上水に舟を浮かべ、それによって農産物や織物などを、江戸に出荷しようと考えていました。

玉川上水は、明治3年に甲州街道の脇街道として、舟運事業に利用されることになりました。

砂川にも、三番(現、砂川三丁目付近)に船着場が設けられました。

それが巴河岸です。

ここからたくさんの産物が、舟で東京へ運ばれて行きました。

伊勢(三重県)の巴屋という人が船頭をしていたので、巴河岸と呼ばれようになったといわれています。

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金比羅山

金比羅山は15メートルあまりの小高い丘。

一説には、富士講と関連があるものといわれています。

今は、頂上には金比羅大権現、ふもとには秋葉神社まつられています。

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残堀川旧水路跡

残堀川は、瑞穂町の狭山池を水源として、玉川上水を越え、国営昭和記念公園内を抜け、富士見町三丁目で根川と合流するまで、武蔵野台地をほぼ南北に貫くように流れる小さな川です。

武蔵野台地のうち、砂川の地にいち早く新田開発のクワが入れられたのは、残堀川の流れがあったためといわれています。

この残堀川の水路は、江戸時代以後、何度か人の手によって変えられたことが知られています。

新田開発が始められた当時の残堀川は、砂川三番の見影橋付近を通り、曙町二丁目を経て矢川につながり、青柳から谷保を抜けて、府中用水に流れ込んでいたといわれています。

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砂川分水・柴崎分水取入口

玉川上水は江戸の人々の飲料水のほか、分水されて上水沿いの村々の発展に大きな貢献をしました。

砂川分水は上水完成3年後の明暦3年(1657)に引かれたのですが、柴崎分水は元文2年(1737)、砂川分水より80年後に引かれました。

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お問い合わせ

教育委員会事務局 教育部生涯学習推進センター文化財係

電話番号:042-525-0860

ファックス:042-525-1236

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