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更新日:2021年12月7日
所在 | 指定年月日 |
---|---|
個人蔵 | 昭和40年11月16日 |
中世の立川の文字が記された資料として、立川原合戦戦死者供養鉦鼓があります。
高さ7cm、最大径20cmほどの念仏鉦。
鉦鼓とは打楽器です。縁まわりに、永正元年(1504)に行われたと伝えられる第二次立川原合戦の戦死者を供養するために、毛呂土佐入道幻世が作ったものであるとの銘文が刻まれています。
第二次立川原合戦とは関東管領であった山内上杉家と扇谷上杉家の争い。
上杉朝良(扇谷家)・北条早雲・今川氏親の連合軍と上杉顕定(山内家)の戦いで、山内家が敗れました。
「立川原」とは立川から府中の多摩川周辺と考えられています。
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