開催の告知および取材のお願い_新編立川市史関連展示、好評につき今夏より再び開催(申込不要)「軍都立川の前線と銃後―砂川村・立川市の公文書から―」【7月21日発表】

立川市域では、大正11(1922)年に陸軍航空部隊の拠点として立川飛行場が開設され、飛行場の周囲に軍事関連施設や軍需工場が集まり、第二次世界大戦勃発前までに立川のまちは「軍都」として発展していました。同時に米軍の空襲目標にもなっており、大戦末期には立川駅北口一帯で空襲の延焼を防ぐための空地をつくるべく建物の強制疎開が行われ、人員疎開により、立川市から約1万人が転出しました。砂川村・立川市は昭和20(1945)年に十数回の空襲を受け、陸軍航空工廠(こうしょう)や立川飛行機工場などを目標とした空襲の巻き添えにより、学校・神社・民家も大きな被害を受けました。
今回の展示では、おもに大戦末期の昭和19年・20年の砂川村・立川市の公文書を画像で紹介します。(令和8年2月~3月に市役所で開催した展示と同内容です)
会期
令和8年8月5日(水曜日)から10月20日(火曜日)
午前8時30分から午後5時(第2・第4月曜日は休館)
会場
砂川学習館1・2階(立川市砂川町1-52-7)
展示資料の一部を紹介
昭和20(1945)年4月「昭和二十年 庶務書類綴」(旧砂川村役場文書28-58)4月24日の空襲の翌日に書かれたもの。砂川国民学校が全焼し、砂川村民15人、砂川以外の住民9人に加え、砂川八番方面などへ避難中の立川飛行機従業員89人が犠牲となった。
昭和20(1945)年1月「昭和二十年 庶務書類綴」(旧砂川村役場文書28-58)
(6)の飛行場や航空技術研究所などが桑畑として描かれている。
昭和15(1940)年11月「昭和十五年其ノ二 庶務関係綴」(旧立川市役所文書〈総〉7-7)
(1)~(6)立川市歴史民俗資料館蔵
ココに注目
- 飛行機疎開のための土地の借り上げにかかわる資料からは、地域が軍に協力する様子がうかがえます。
- 立川排水路開削などの資料では、戦時中の急速な発展に対応した都市整備の様子がわかります。
- 空襲被害の見舞状や空襲に伴う軍需工場の社葬案内など、空襲直後を記録した貴重な資料も残されています。
このプレスリリースに関するお問い合わせ先
立川市文化スポーツ部市史編さん室
電話042-523-2111 (内線)4046
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