立川市の歴史(1700年代まで)
立川市の過去から現在における歴史上の出来事を年表に
ここでは、1700年代までに起きた市政に関する主な出来事等を年表形式で掲載しています。
- 錦町・羽衣町向郷遺跡(錦町4丁目・羽衣町3丁目)で旧石器時代(約1万3千年前)の人の痕跡が発見される。
- 柴崎町大和田遺跡(柴崎町4丁目)と向郷遺跡で縄文時代の集落跡が確認される。
- 柴崎町大和田遺跡(柴崎町4丁目)と下大和田遺跡(柴崎町1丁目・4丁目)、富士見町台の下遺跡(富士見町3丁目)で奈良平安時代の集落が確認される。
811(弘仁2)年
諏訪神社が建てられる。
1252(建長4)年
柴崎町に八幡神社が建てられる。
1353(文和2)年
これ以前に、普済寺開山される。
1361(延文6)年
普済寺六面石幢がつくられる。
1455(享徳4)年
第一次立河原の合戦起きる。
1504(永正元)年
第二次立河原の合戦起きる。
1586(天正14)年
八幡神社に本地仏像を立河照重内女おねねが奉納する。
1596(慶長元)年
家康、青梅、五日市両街道を整備する。
1600(慶長5)年
- 甲州街道起工、同9年完成。
- 慶長年間から岸村(現武蔵村山市岸)の百姓村野三右衛門が砂川新田(現一番町から幸町)の開墾を始め、寛永年間に入って居住を始める。
1629(寛永6)年
砂川の阿豆佐味天神社建てられる。
1633(寛永10)年
砂川新田尾張藩鷹場となる。(1693=元禄6年 廃止)
1654(承応3)年
玉川上水が開通。
1657(明暦3)年
砂川分水が開通。
1670(寛文10)年
諏訪神社が現在の場所に再建される。
1688(貞享5)年
柴崎分水訴願状出す。
1689(元禄2)年
砂川で検地が行われる。戸数175戸、畑229町5反4畝16歩、萱野73町4反1歩、林39町6畝27歩の検地内訳である。
1688年から1704年まで(元禄年間)
このころ諏訪神社に伝わる獅子舞が始まる。
1716年から1736年まで(享保年間)
殿ケ谷分水できる。徳川吉宗の新田開発政策により、砂川新田(現幸町)、砂川前新田(現若葉町)、殿ケ谷新田、宮沢新田、中里新田(現西砂町)、榎戸弁天新田、八軒新田、芋窪新田(現幸町、栄町)の開墾が始まる。
1717(享保2)年
砂川新田再び尾張藩鷹場となる。
1736(元文元)年
砂川新田、砂川村(旧一番組から八番組)となる。
1737(元文2)年
柴崎分水が開通。
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