訃報【6月15日発表】
元立川市長 青木 久 氏(101歳)におかれましては、令和8年6月8日(月曜日)に御逝去されました。謹んでお悔やみ申し上げます。
氏名
青木 久(あおき ひさし)
死亡日
令和8年6月8日(月曜日)
死因
敗血症
年齢
大正14年5月28日生 101歳
通夜・葬儀・告別式
ご遺族の意向により、6月13日(土曜日)に近親者のみで執り行われました。
記帳台
立川市役所本庁舎において、以下の通り記帳台を設置 します。
期間
令和8年6月16日(火曜日)~19日(金曜日)午前8時30分~午後5時まで
場所
立川市役所本庁舎(立川市泉町1156-9)
1階多目的プラザ(市民ロビー横)
内容
長期にわたり市政に功労のあった故人に対し、市として弔意を表すとともに、市民や関係者が弔意を表する機会を確保するため、ご遺族の意向を踏まえ、市役所に記帳台を設置します。 なお、香典、献花は受け付けていません。
酒井大史 立川市長のコメント
青木久 元市長のご逝去の報に接し、心から哀悼の意を表します。多摩都市モノレールやファーレ立川の整備、JR中央線連続立体交差事業の推進など、本市の発展の礎を築かれるとともに、全国市長会会長として地方自治の発展に大きく貢献されました。長年のご功績に深く感謝申し上げ、ご冥福をお祈りいたします。
元立川市長 青木久氏の主な経歴
- 昭和32年(1957年)旧砂川町収入役就任
- 昭和38年(1963年)立川市副収入役就任
- 昭和40年(1965年)立川市建設部長就任
- 昭和44年(1969年)立川市総務部長就任
- 昭和47年(1972年)立川市福祉部長・企画財政部長就任
- 昭和49年(1974年)立川市企画部長就任
- 昭和51年(1976年)立川市開発部長就任
- 昭和53年(1978年)立川市助役就任
- 昭和62年(1987年)第14代立川市長就任
- 平成12年(2000年)東京都市長会会長就任
- 平成14年(2002年)全国市長会会長就任
- 平成19年(2007年)立川市長退任(5期20年)
青木久氏は、大正14年(1925年)5月28日に生まれました。
昭和32年(1957年)に旧砂川町収入役に就任し、立川市との合併後は副収入役、建設部長、総務部長、福祉部長、企画部長、開発部長を歴任しました。昭和53年(1978年)からは助役として市政運営に携わり、昭和62年(1987年)に第14代立川市長に就任。以後5期20年にわたり市政の発展に尽力されました。
また、東京都市長会会長、全国市長会会長を歴任し、地方自治の発展にも大きく貢献されました。
立川の発展に残したご功績
青木氏は、「心のかよう緑豊かな健康都市立川」を掲げ、多摩地域の中核都市としての立川の基盤づくりを進めました。
鉄道・交通基盤の整備
立川駅周辺の都市基盤整備を推進するとともに、JR中央線三鷹・立川間連続立体交差事業の推進に尽力しました。鉄道による地域分断の解消や交通渋滞の緩和など、現在の立川の発展につながる大きな礎を築きました。
多摩都市モノレールの実現
多摩地域南北交通の重要性を早くから提唱し、多摩都市モノレール建設の基礎を築きました。今日の多摩地域の交通ネットワーク形成に大きく貢献しています。
ファーレ立川の整備
基地跡地の再開発事業を推進し、平成6年(1994年)にファーレ立川を完成させました。世界36か国、 90人を超える芸術家によるアート作品を配置した先進的なまちづくりは、国内外から高い評価を受けています。
福祉の充実
総合福祉センターの整備をはじめ、高齢者や障害者福祉の充実、シルバー大学やシルバー人材センターの充実など、誰もが安心して暮らせるまちづくりにも力を注ぎました。
地方自治への貢献
東京都市長会会長、全国市長会会長として、地方分権改革や地方財政の充実に取り組み、全国の自治体を代表して地方自治の発展に尽力しました。
プレスリリース原本
このプレスリリースに関するお問い合わせ先
立川市市長公室秘書課 担当:牛山(ウシヤマ)
042-523-2111 (内線)2168
PDFファイルをご覧いただくには、「Adobe(R) Reader(R)」が必要です。お持ちでない方はアドビシステムズ社のサイト(新しいウィンドウ)からダウンロード(無料)してください。