立川市の散歩コース【5.砂川と玉川上水を歩く】
玉川上水駅から出発し、砂川と玉川上水を歩くコースです。
散歩コース概要
鷹の道
武蔵野は江戸時代、尾張徳川家の鷹場が設けられていたので、まだ鷹の道とよばれる古道が残っています。
鷹の道は「鷹匠道」や「お鷹の道」と呼ばれているところもあり、鷹場役人が村内視察の巡回路や、鷹場の取り締まりを請けている村役人宅に来るための連絡道でした。
ふだん村人はその道を使ってはいけない制約がありました。「鷹の道」という名称は、鷹場役人の横柄さを表す代名詞に使われることもありました。
今でも鷹の道を歩くと、屋敷、屋敷林、畑と区割りされた古い村落の様子を見ることができます。
川越道緑地と古民家園
雑木林の自然を残した川越道緑地の一角に古民家園があります。
ここに砂川九番組(幸町4丁目)にあった小林家住宅が移築されています。
市指定の有形文化材で、江戸時代後期の裕福であった農家です。
大きな土間に六部屋、堂々とした木組みなどは、見る者を圧倒します。
砂川八番組馬頭観世音
古い街道沿いには、よく馬頭観世音の石塔を見かけます。
江戸時代、馬は物資の輸送に大きな役割を果たし、砂川にもたくさんの馬がいました。
これらの家畜に対する感謝の気持ちから、馬頭観世音の石塔が建てられたのです。
この碑は、嘉永元年(1848)に建てられました。
高さは約2.3mあり、市内最大級です。
玉川上水・清流復活の碑
徳川三代将軍家光の時代に、大名の参勤交代が行われるようになり、江戸の人口は爆発的に増えました。
このため、水不足になりますが、その解決のために、承応2年(1653)玉川庄右衛門、玉川清右衛門によって玉川上水が開削されました。
機械の無い時代に、羽村の取水口から四谷大木戸(現在の新宿区)まで約43km、標高差約92mの工事を8ヶ月程で完成させたと言います。
享保の改革の時は、地下水位が低くて、人が住めなかった武蔵野台地に多くの分水が引かれました。
この水を飲料水や生活用水に利用することで、多くの新田村がつくられました。
明治31年(1898)東京の近代水道は、玉川上水を使って淀橋浄水場で始められました。
しかし、増え続ける水道の需要に応えるため、昭和40年(1965)東村山浄水場に移転し、幸町の小平監視所から下流は水が流されなくなりました。
これに対し、周辺の緑とともにせせらぎを残したいという願いをもつ人々が増え、昭和61年(1986)東京都は「清流復活事業」として、小平監視所から約18km下流の高井戸まで高度処理水による通水を始めました。
平成15年(2003)玉川上水は竣功350年を記念して、江戸・東京の発展を支えた歴史的な土木施設・遺構として国の史跡に指定されました。
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