立川市の散歩コース【6.西砂川と殿ヶ谷分水跡を歩く】

ページ番号1004894  更新日 2024年6月18日

西武立川駅を出発し、神社や分水跡を巡るコースです。

散歩コース概要

写真:散歩コース6 地図

諏訪神社

写真:諏訪神社全景


宮沢新田は享保年間(1716~1736)の初期、殿ヶ谷分水を利用して、宮沢村(現在の昭島市)の人々によって開発されました。

諏訪神社は、親村(※)であった宮沢村の氏神様を勧請したものです。

祭神は建御名方の命(たけみなかたのみこと)。

境内には眼病に霊験あらたかという小祠があります。
(※親村:新田開発のためにやってきた人々の出身地の村)

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殿ヶ谷緑道

写真:殿ヶ谷緑道全景


享保5年(1720)、現在の西砂町、殿ヶ谷、宮沢、中里の新田開発のため、玉川上水から殿ヶ谷分水が引かれました。

殿ヶ谷分水の跡地を、その痕跡を残しながら遊歩道にしたものが殿ヶ谷緑道です。

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神明社

写真:神明社全景


神明社は中里新田の鎮守として享保3年(1718)頃に創建され、当初は「神明稲荷社」と称していました。

その後、近くにあった愛宕社と合併し「神明愛宕社」となり、後に神明社となりました。
享保年間の初期に川崎村(現在の羽村市)の中里伊兵衛が、殿ヶ谷分水を利用して中里新田を開発しました。

神明社は中里地域の氏神、祭神は天照皇大神(あまてらすおおみかみ)で、以前は中里新田の西端にありましたが、横田基地の拡張により現在の場所に移転鎮座しました。

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林泉寺

写真:林泉寺全景


林泉寺は享保14年(1729)中里新田の人々の菩提寺として創建されました。

春になると桜が美しく咲きます。

山号を鷹尾山といい、臨済宗建長寺派の寺です。

『新編武蔵風土記稿』には福生市にある「清巌院」との関連が記されています。

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阿豆佐味天神社

写真:阿豆佐味天神社(西砂)全景


殿ヶ谷新田は殿ヶ谷村の人々によって開発されました。

阿豆佐味天神社は、殿ヶ谷村にある本社から氏神様として勧請した神社です。

砂川四番にある鎮守阿豆佐味天神社は兄弟社です。

境内には殿ヶ谷分水記念碑があります。

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玉林寺

写真:玉林寺全景


玉林寺は山号を嶺雲山といい、臨済宗建長寺派の寺で、普済寺の末寺です。

殿ヶ谷村に創建されましたが、殿ヶ谷新田の人々の菩提寺として、元文年間(1736~1741)にこの地に移されました。

関連ファイル

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