【国指定史跡】玉川上水
- 所在
- 立川市北部
- 指定年月日
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平成15年8月27日
徳川三代将軍家光の時代に、大名の参勤交代が行われるようになり、江戸の人口は爆発的に増えました。
このため、水不足になりますが、その解決のために承応2年(1653)玉川庄右衛門、玉川清右衛門によって玉川上水が開削されました。
機械の無い時代に、羽村の取水口から四谷大木戸(現在の新宿区)まで約43km、標高差約92mの工事を8ヶ月程で完成させたと言います。
この功績により2人は水元役という玉川上水を管理する役人になり、当時は武士だけが許されていた姓を名乗ることと、刀を持つことが許されました。
享保の改革の時は、地下水位が低くて、人が住めなかった武蔵野台地に多くの分水が引かれました。
この水を飲料水や生活用水に利用することで、多くの新田村がつくられました。
明治31年(1898)東京の近代水道は、玉川上水を使って淀橋浄水場で始められました。
しかし、増え続ける水道の需要に応えるため、昭和40年(1965)東村山浄水場に移転し、幸町のから下流は水が流されなくなりました。
これに対し、周辺の緑とともにせせらぎを残したいという願いをもつ人々が増え、昭和61年(1986)東京都は「清流復活事業」として、小平監視所から約18km下流の高井戸まで高度処理水による通水を始めました。
平成15年(2003)玉川上水は竣功350年を記念して、江戸・東京の発展を支えた歴史的な土木施設・遺構として国の史跡に指定されました。
市内の玉川上水には、上流から柴崎・砂川分水口、天王橋の石橋供養塔、玉川上水橋梁群整備対象の新天王橋、残堀川下の伏越、源五右衛門分水口、見影橋下流の通船事業の巴河岸跡、地形的に下流が高い砂川三番、金比羅橋上流の砂川水衛所跡、、平兵衛・中藤分水口跡、小川橋の石橋供養塔などがあり、両側の土手の小道には木々もしげり、散歩道として親しまれています。
小平監視所
現在沈砂池があるこの場所に、野火止用水と小川用水の分水口がありました。
昭和38年、玉川上水の水はここから東村山浄水場へ送られることとなり、沈砂と取水と玉川上水の水質の管理を行うため、熊川、砂川、小川の3つの水衛所を統合して、小平監視所が設置されました。
羽村から小平監視所まで約12kmの水は、江戸時代から水道の原水として使われ続けています。
ここから下流の水は、昭島市にある多摩川上流水再生センターから地下パイプで送られてきた高度処理水です。
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