【市指定有形文化財】勝坂式土器

ページ番号1004874  更新日 2024年6月18日

写真:勝坂式土器

所在
歴史民俗資料館蔵
指定年月日
昭和45年11月26日

矢川緑地の北側、一段高い場所に向郷遺跡があります。

向郷遺跡は立川市内で最も著名な遺跡で、下に矢川緑地を見下ろす立川崖線の縁辺に立地しています。
向郷遺跡の存在は戦前から知られていましたが、昭和20年(1945)に最初の発掘調査が行われて以来、100回以上調査が行われています。
旧石器、縄文時代が遺跡の中心ですが、最も著名なのは、縄文時代中期の集落です。

縄文時代中期前半の勝坂式期(およそ5400年前~5000年前)には、崖線から少し離れた現在の羽衣町3丁目交差点付近に集落(ムラ)がありました。

昭和41年に、現在の羽衣町3丁目交差点付近で行われた水道工事でも縄文時代中期前半の勝坂式土器が数点発見され、そのうち遺存状態がよい2点が、昭和45年に立川市重宝(現在の市指定有形文化財)に指定されました。
中期後半の加曽利E式期(およそ5000年前~4500年前)になると集落が崖線の縁辺に移動します。

市営錦町住宅地点の発掘調査では、集落の中心に広場があり、その周りを墓域、ピット群、竪穴住居跡群が同心円状にぐるりと取り囲んでいる様子が判明しました。

このような集落の形態は、環状集落と呼ばれています。
墓域には290を超える墓穴がありました。

その一部からは、逆さまになった状態で縄文土器が出土しています。

これは「甕かめ被かぶり葬そう」と呼ばれ、亡なきがら骸の頭に土器を被せて埋葬したものと考えられています。

墓穴からは土器の他に、コハク製と滑石製の垂飾りが出土しています。

一種のアクセサリー(装飾品)ですが、おそらく呪術的な意味もあったでしょう。

平成25年に、甕被葬に使われた縄文土器や装飾品等が、「向郷遺跡環状墓群の遺物」として、一括で市の指定有形文化財になりました。

市営錦町住宅の北側には、向郷遺跡の掲示板が設置されています。

関連ファイル

このページに関するお問い合わせ

教育委員会事務局 教育部 生涯学習推進センター 文化財係
〒190-0013 立川市富士見町3-12-34
電話番号(直通):042-525-0860
ファクス番号:042-525-1236
教育委員会事務局 教育部 生涯学習推進センター 文化財係へのお問い合わせは専用フォームをご利用ください。

よりよいウェブサイトにするために、皆さまのご意見をお聞かせください。

このページの情報は、あなたのお役に立ちましたか?
このページの情報は、分かりやすかったですか?
このページは、見つけやすかったですか?


(この欄に入力されたご意見等への回答はできません。また、個人情報等は入力しないでください。)