【都指定史跡】立川氏館跡
- 所在
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柴崎町4-20-46 普濟寺
- 指定年月日
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平成6年3月22日
普濟寺には、本堂の東側に高さ約2m、長さ約40mの土塁があり、「立川氏館跡」と伝えられています。
土塁は、立川氏が拠点としていた館の防塁の一部と考えられ、東側の土塁の外側には堀跡を確認しています。
この土塁をはじめこの付近は、東京都の史跡に指定されています。
立川氏は、武蔵国を本拠として活躍した武蔵七党のうちの西党の日奉氏の末裔といわれ、鎌倉幕府による歴史書『吾妻鏡』に初めてその名が記されます。
室町時代になってからの立川氏の記録は不明ですが、15世紀前半に一時没落したと考えられています。
その後、戦国時代に復活し、小田原北条氏に従っていました。
天正18年(1590)豊臣秀吉の軍勢によって、北条氏の有力な拠点だった八王子城が攻め落とされた時、主君とともに滅ぼされたと伝えられていましたが、後に水戸藩徳川家に仕官したことがわかっています。
なお、『吾妻鏡』に見られる立川氏と、戦国時代に台頭してくる立川氏との関係は不明です。
普濟寺は立川氏の菩提寺として開かれましたが、立川氏のことについては、『吾妻鏡』や普済寺の古記録、八幡神社本地仏像などに名をとどめているのみで、詳しいことはわかっていません。
江戸名所図絵
江戸後期の普済寺境内。土塁や伽藍の位置は現在の区画に受けつがれています。(一部加筆)
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